「平等」を「差別なく」「公平に」等の一般的な意味で捉えると、理趣経を読み違う。
現世において悟る
「もし能く受持して日日に読誦し作意思惟せば」とあります。もしこの理趣経を手にもち近くに置いて、声に出して読み、体で、口で、心でこれを受けとめるならば、「即ち現生に於て、一切法平等の金剛の三摩地を証して」と続きます。平等とは仏と自分が一体であることです。千円札を両替機に入れて百円硬貨十枚にくずしても値打ちは変わらないという意味の平等ではありません。自分と宇宙との真理、自分と絶対者が一つだということが平等です。
弘法大使は三平等といいました。自分と他人と仏との三つが平等であるということです。自分と他人は平等で一つである。それが宇宙・仏さまと一つであるということです。ふつう平等というのは絶対者・真理と自分・世俗的なものとが一つだということです。一切法が自分も真理も一つであって、金剛・ダイヤモンドのようにこわれない三摩地・悟りの境地を現世に証するとあります。
これが大乗仏教のいきついたところで、つぎの世代で身につける、死んでから極楽浄土へいくというのではなく、現世で悟りを得られる、「生まれ変わらなくても、今生きているうちにこの世で悟れる、そのためには自分自身の目のうろこをとってしまえ」ということです。「おれが、おれが」という自分へのこだわりをなくして、生きとし生けるものが全部一つだという、仏と自分が一つであるから自分自身も仏であるという自覚をもたなければいけないということです。
