はじめに

再生可能エネルギーの切り札として、大きな期待と共に日本全国に広がったメガソーラー。しかし今、その足元では、自然景観の破壊、土砂災害リスクの増大、そして国の補助金を食い物にする事業者の存在が、深刻な社会問題となっています。

「またエネルギー業界の話か」と思われるかもしれません。しかし、この構図は決して他人事ではないのです。筆者が所属するIT業界でも、中小企業を支援する「IT導入補助金」や、個人の学び直しを支える「リスキリング」といった「善意の制度」が、一部の利益追求型事業者によって歪められている現状があります。

なぜ日本では、社会を良くするための仕組みが、かくも簡単に「儲け話」へと姿を変えてしまうのでしょうか。本記事では、この根深い問題の根源を、日本の歴史的・文化的背景から深く掘り下げていきます。

第1章:光と影のメガソーラー ― クリーンエネルギーの理想と現実

太陽光発電、特にメガソーラーは、クリーンな国産エネルギー源として大きな脚光を浴びました。その普及を後押ししたのが、2012年に始まったFIT制度(固定価格買取制度)です。国が20年間にわたり高い価格で電力を買い取ることを保証したこの制度は、再生可能エネルギー普及の起爆剤となりました。

しかし、この「国の保証付きの儲けの仕組み」は、本来求められるべき長期的な視点や責任感が欠如した事業者を呼び寄せる結果となります。彼らの目的は、クリーンなエネルギーを供給することではなく、制度を利用して短期的に最大の利益を上げること。その結果、以下のような問題が噴出しました。

  • ずさんな開発: コストを削減するため、安全対策が不十分なまま山林を切り拓き、土砂災害のリスクを高める。
  • 地域との断絶: 地域住民への説明を怠り、景観や生活環境への配慮を欠いたまま建設を強行する。
  • 責任の放棄: 発電所を建設し、売電権利を得た途端にそれを転売し、後の管理や廃棄の問題から逃れる「売り逃げ」。

クリーンエネルギーという理想の裏で、日本の豊かな自然と地域社会が、一部の事業者の利益のために犠牲にされているのです。

第2章:対岸の火事ではない ― IT業界に潜む同じ「構造」

この話、どこかで聞いたことがないでしょうか? そう、この「善意の制度」と「利益優先の事業者」が織りなす構図は、IT業界にも驚くほどそっくりな形で存在します。

事例1:IT導入補助金

中小企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)を支援し、生産性を向上させる。これがIT導入補助金の崇高な目的です。しかし、その実態はどうか。

  • 「補助金ありき」の高額販売: 「補助金で半額になりますから」という殺し文句で、市場価格より遥かに高い、あるいは企業の課題解決に全くつながらないツールを販売するベンダー。
  • 成果に無関心なコンサルタント: ITの専門家ではなく、補助金申請書の作成代行だけを請け負う業者。彼らの仕事は申請が通るところまで。導入されたツールが活用されず「塩漬け」になっても、知らん顔です。

ここでも、事業者の目的は「顧客の課題解決」から「いかに補助金の要件を満たすか」へと、完全に入れ替わってしまっています。

事例2:リスキリング助成金

デジタル時代を生き抜く人材を育成するリスキリング支援も同様です。個人のキャリアと企業の成長を後押しするこの制度もまた、格好の的となっています。

  • 中身のない研修の乱立: 助成金の要件を満たすことだけを目的に作られた、実務に役立たない質の低い研修プログラムが市場に溢れる。
  • 「受講」の形骸化: スキル習得という本来の目的は忘れ去られ、事業者も受講者も「研修を完了させて助成金を受け取ること」がゴールになってしまう。

メガソーラーも、IT補助金も、リスキリングも、その根底には「制度の隙を突き、利益を最大化する」という、全く同じ事業者の論理が流れているのです。

第3章:なぜ日本では? ― 価値観の変化と制度の「隙」

では、なぜ「倫理の国」とも言われる日本で、このような事態が繰り返し起こるのでしょうか。その根源には、この数十年で起きた社会の劇的な「価値観の変化」と、日本の制度設計が抱える構造的な「隙」という、2つの側面が深く関わっているのかもしれません。

1. 「安定」から「自己責任」へ ― 価値観の地殻変動

現代のビジネスにおける様々な問題を読み解く鍵は、この価値観の地殻変動を理解することにあるのではないでしょうか。

かつての「お約束」:安定と所属が幸福だった時代

バブル経済が崩壊する以前の日本には、社会全体で共有された暗黙の「お約束」があったように思われます。それは終身雇用と年功序列に支えられた、長期的な安定モデルです。この時代、「幸福」とは「一つの会社という共同体に所属し、将来にわたる安定した生活を保障されること」とほぼ同義だったのではないでしょうか。「真面目にコツコツ働けば、会社が家族のように面倒を見てくれ、家を買い、子供を育て、豊かな老後が送れる」— この成功方程式を多くの人が信じていた時代があったと言えるでしょう。社長の役割は社員の人生を守ることであり、個人の幸福は共同体の中にあったのかもしれません。

価値観の転換点:バブル崩壊という「裏切り」

この強固な価値観を根底から覆すきっかけとなったのが、バブル経済とその崩壊だったと考えられます。

まず「幻想」の出現です。バブル期には、労働の対価としてではなく、株や土地への投機によって巨額の富が得られる「財テク」ブームが起こりました。これは「真面目に働くこと」の価値を相対的に下げ、「賢く立ち回って稼ぐ」という幻想を社会に植え付けた側面があったのではないでしょうか。

そして「お約束」の崩壊が訪れます。バブル崩壊後、あれだけ「家族」と言っていた会社が、生き残りのために大規模なリストラを断行。終身雇用という神話は崩れ、長年尽くしてきた社員でさえも切り捨てられる現実を目の当たりにしました。この経験は、単なる経済的損失以上に、「信じていたものに裏切られた」という深刻なトラウマと、社会システム全体への不信感を日本人に植え付けたのかもしれません。

新しい成功方程式:「自己責任」と「短期的な利益」

信頼できる共同体を失い、未来への保証もなくなった社会で、人々の価値観は自己防衛的に変化していったのではないでしょうか。

「国も会社もあてにならない。信じられるのは自分だけだ。ならば、不確実な未来を待つのではなく、今この瞬間に、自分の才覚で掴める短期的な利益を最大化するしかない」

これが、「自己責任」という言葉と共に広まっていった新しい成功方程式だと考えられます。「いかに賢く、手っ取り早く稼ぐか」という思考が、こうした生存戦略として社会に根付いていったのではないでしょうか。この価値観のもとでは、補助金制度の隙を突くような行為も「社会への裏切り」ではなく、「賢い自己防衛」と見なされやすくなるのかもしれません。

「幸せ」の再定義:レクサスと五つ星レストランが象徴するもの

この価値観の変化は、「社員の幸せ」の定義すらも変えていったように思われます。ある社長が「社員の幸せとは、全員がレクサスに乗れるようになることだ」と語ったというエピソードは、この変化を的確に象徴しているのではないでしょうか。

かつて幸福が「安定・所属」という目に見えない価値だったのに対し、現代の幸福は、レクサスや五つ星レストランに代表される「購買力(お金)」という可視化・数値化できる価値へと置き換わっていったのかもしれません。会社の役割は、社員の人生を守ることから、社員が自己責任で幸福を購入するための原資(お金)を最大化させることへと変化したと捉えることもできるでしょう。会社は幸福そのものではなく、幸福になるための「手段」を提供するのが役割となり、それを使ってどう幸せになるかは個人の問題—。この考え方が、短期的な利益を至上命題とする経営判断と、深く結びついているのではないでしょうか。

2. 信頼が生んだ「隙」 ― 性善説の罠

このように個人の価値観が「短期的利益の最大化」へとシフトする一方で、日本の制度設計そのものがある種の無防備さを抱えています。

日本の制度設計には、性善説、つまり「人々は基本的にルールを正直に守るだろう」という信頼を前提とする傾向があるのかもしれません。そのため、悪意を持って抜け道を探す者への備えが手薄になりがちで、一度「儲け話」として認知されると、あっという間に制度が悪用されてしまうという脆弱性を抱えているとも言えるのではないでしょうか。

価値観の変化によって「制度の隙を突く」ことに心理的な抵抗がなくなった人々と、信頼を前提とした「隙のある制度」。この2つが組み合わさった時、今回見てきたような問題が起こるべくして起こったのかもしれません。

おわりに

本来であれば、人々の善意や倫理観を信じる「性善説」に基づいて社会が成り立つことが、最も美しい姿でしょう。しかし、ここまで見てきたように、制度に生まれた「隙」は、残念ながら利益を追求する者によって利用されてしまいます。

だからこそ私たちは、不本意ながらも、人の弱さや利己心と向き合う「性悪説」の視点を取り入れ、悪意ある者が入り込む余地のない、より実効性のある制度設計へと舵を切らなければならない時期に来ているのかもしれません。

「善意」が「利益」に食い尽くされない社会を築くために、私たち一人ひとりがこの構造を理解し、見抜く目を持つことが求められているのではないでしょうか。