
いまの時代に、あえて新聞の話をするのは少し古くさく聞こえるかもしれません。
ニュースはスマートフォンで簡単に読めますし、速報性だけを見れば、新聞よりネットのほうが早いのは確かです。実際、新聞離れが進んでいるのも自然な流れでしょう。購読料もかかりますし、紙を広げて読む習慣そのものが、忙しい日常の中では遠ざかりやすくなっています。
ネットのニュースは便利です。
気になった見出しをクリックすれば、すぐにその話題に入れます。関心のある分野だけを追うこともできますし、空いた時間に短く読むこともできます。いまの生活スタイルには合っていると言えるでしょう。
ただ、その便利さの裏で、失われやすいものもあります。
それは、ニュース全体を見渡す感覚です。
新聞離れが進むのは自然な流れ
ネットニュースは、スクロールして、気になる記事をクリックして、読み終えたら戻って、また別の記事を開く、という読み方になりがちです。ひとつひとつの情報には素早く触れられますが、その日に何が起きていて、何が大きなニュースで、何が補足的な話題なのかという全体像はつかみにくいことがあります。どうしても情報が断片化しやすいのです。
その意味では、新聞離れが進むのも無理はありません。
手軽さ、速さ、自分の興味に合わせやすいこと。そうした点では、ネットニュースのほうが今の時代に合っています。新聞のほうが不利に見えるのは当然です。
それでも新聞には一覧性という強みがある
その点、新聞には独特の強みがあります。
紙面をぱっと開けば、その日のニュースが一望できます。大きな見出し、小さな見出し、記事の配置、扱いの大きさ。そうした紙面全体の構成によって、いま何が重く見られていて、何が周辺的な話題なのかが自然に伝わってきます。
私は、この点こそ新聞の優れたところだと思っています。
うまく言葉にするなら、情報を一覧でつかめること、あるいは全体を見渡せることです。新聞は、ひとつの記事だけを深く読むためのものというより、まず社会で何が起きているかを面としてつかむための媒体だと言ったほうがよいのかもしれません。
見出しの強弱で、その日の重要度が見える
見出しの強弱も大きいと思います。
どの記事が大きく扱われ、どの記事が小さく置かれているかを見るだけでも、その新聞社が「今日いちばん重要だ」と考えていることがわかります。もちろん、それがそのまま絶対的な重要度とは限りません。しかし少なくとも、何が主要な論点として提示されているのかを一目で把握できるのは、新聞ならではの特徴です。
ネットニュースでは、自分がクリックした記事だけを読むことになりやすく、全体の中での位置づけが見えにくいことがあります。
その点、新聞は、記事ひとつひとつだけでなく、紙面全体で「今日」を伝えているように思います。
偏向報道をどう受け止めるか
ただし、ここで気をつけなければならないことがあります。
新聞には、新聞社ごとの考え方や編集方針があります。政治、経済、外交、社会問題など、同じ出来事を報じていても、見出しの立て方、言葉の選び方、どこを強調しどこを弱く扱うかには違いが出ます。そこには、単なる事実の整理だけではなく、明らかに論調の傾向が表れます。
いわゆる偏向報道という問題です。
この言葉は強いため、感情的な決めつけとして使われることもあります。
しかし実際には、まったく偏りのない報道など存在しないと考えたほうが現実的でしょう。記事は必ず、誰かが取材し、誰かが編集し、誰かが見出しをつけています。その過程で、何を前に出し、何を後ろに置くかという判断が入ります。つまり、新聞には必ずフィルターがあるのです。
フィルターを意識して読むと新聞は面白くなる
だからこそ、新聞は鵜呑みにしてはいけません。
しかし逆に言えば、そのフィルターの存在を意識しながら読むことで、新聞はとても面白いものになります。
この新聞はこの論点を強く押し出している。
こちらの新聞は同じ出来事でも別の角度から書いている。
なぜこの言葉を使ったのか。
なぜこの事実は大きく扱われ、この事実は小さく扱われているのか。
そうしたことを考えながら読むと、記事をただ受け取るだけではなく、その向こう側にある構図が見えてきます。新聞社ごとの癖や傾向がわかってくると、むしろ新聞を読むこと自体が、情報を見抜く訓練になっていきます。
そしてこれは、新聞に限った話ではありません。
テレビでも、どの話題を大きく扱うか、どの場面を切り取るかによって、伝わり方は変わってきます。近年はテレビ報道の偏りもたびたび話題になりますが、結局のところ、新聞もテレビもネットも、それぞれ固有のフィルターを通して情報を伝えているのだと思います。
問題は、何が目に入るかだけではありません。
もっと大きいのは、その内容がどのように切り取られ、どんな言葉で提示され、どこが強調され、どこが省かれているかです。見出しひとつで印象は変わりますし、事実そのものは間違っていなくても、並べ方や焦点の当て方によって、受け手の理解は大きく動きます。
そのうえで、ネット上の情報には、さらに別の難しさがあります。
新聞やテレビには少なくとも発信元の輪郭がありますが、ネットでは、誰が書いたのか、何を根拠にしているのかが曖昧な情報も広がりやすいからです。
しかもネットでは、単なる切り取りや誇張にとどまらず、事実そのものが捏造された情報まで混じります。
いわゆるフェイクニュースです。完全な作り話はもちろん、実在する出来事に少しだけ虚偽を混ぜたもの、古い映像や写真を別の文脈で使うもの、AIで生成した映像や音声を事実であるかのように見せるもの、出典のない話を断定的に広げるものなど、その形はさまざまです。本当にやっかいなのは、明らかな嘘よりも、少し本当が混じっていて見抜きにくい情報です。
大切なのは、媒体の種類や発信者の知名度に安心することではなく、その情報がどのように構成され、どのように伝えられているのかを見極めながら受け取ることではないでしょうか。
何が書かれているかだけでなく、どう書かれているか、何が省かれているか、そしてそもそもその情報は確かなのかまで含めて読むことが、これからますます大切になるのだと思います。
新聞デザインはホームページやチラシにも通じる
そして、新聞のことを考えていると、これはホームページやチラシなどのデザインにも通じる話だと感じます。
新聞の紙面は、ただ情報を並べているのではありません。
何が重要で、何を先に見せ、どこに視線を流し、読み手にどう全体像をつかんでもらうかが、よく考えられています。大きな見出しでまず重要な話題を示し、その周囲に中小の記事を配置しながら、紙面全体として情報の強弱をつくっている。そこには、読ませる順序まで含めた設計があります。
しかも新聞は、色に頼らない世界です。
だからこそ、文字の大きさ、太さ、余白、配置、そして書体の使い分けが生きてきます。見出しに明朝体とゴシック体を使い分けるのも、その一つでしょう。明朝体が持つ格調や落ち着きと、ゴシック体が持つ視認性やアクセントを、役割に応じて使い分ける。新聞には、モノクロの中でも情報に表情を与える工夫があります。
こうした感覚は、ホームページやチラシを考えるときにも参考になります。
情報は、ただ載せれば伝わるわけではありません。何を先に見せるのか、どこに強弱をつけるのか、どうすれば読み手が迷わず全体像をつかめるのか。新聞の紙面には、そのためのヒントが多くあります。
新聞から学ぶべき点は今も多い
今さら新聞、と思う人もいるでしょう。
たしかに、速報性や手軽さではネットニュースにかなわない部分があります。けれども、情報があふれ、関心のある話題だけを追いやすい時代だからこそ、ニュース全体を一覧でつかむ感覚には価値があります。そして同時に、その一覧をどう切り取って見せているのかという偏りに気づく視点も、以前にも増して大切になっています。
新聞は古い媒体かもしれません。
しかし、社会の出来事を俯瞰し、報道の偏りを見抜き、自分の頭で考えるための材料としては、今でも十分に読む意味がある。
そして、情報をどう整理し、どう見せれば伝わるのかを考えるうえでも、新聞から学ぶべき点は少なくない。
私はそう思っています。
新聞の紙面から学べる「情報の強弱」や「見せ方の設計」は、ホームページやチラシなどにも通じるものがあります。そうした考え方を大切にした制作については、弊社ホームページでもご案内しています。
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